今回は
知っておきたい世界の国の歴史①
今回スポットを当てるのは
「香港」です
香港の基本情報
香港の公用語は
「広東語・英語・北京語」などで。
通貨は「香港ドル」になります。
国名は「中華人民共和国」となります
その地名の由来は、
香港島の南西部に香港仔(ヒョンコンツァイ)と呼ばれる湾に面した地区があり、
昔は漁村で、ここに香木が集積されたところから、
香港と命名されたと伝えられているそうです。
広東語では「ヒョンコン」と発音しますが、
英軍が初めて上陸した時地元の民に地名を聞いたところ
現地の水上生活者の訛で
「香港(ホンコン)」と言ったのを
そのまま記録したためと言われています。
香港の歴史
香港の歴史としては、
前214年頃「秦」が華南に郡県を設置すると
中原王朝の支配を受けるようになります。
唐の時代頃には、
近隣の広州が南海貿易の交易港として繁栄したため、
真珠の採掘やなどが作られ、香港地区一帯が繁栄しました。
その後「明」の時代には
香港地区南端に水軍(南頭寨)が設置され
1552年頃からは「九龍」の地名が史料に登場し、
その後「香港島」の地名も散見されるようになりました。
植民地時代の香港と理由
「清」の時代(1616~1912)に
イギリス東インド会社などが来航するようになり、
1711年には広州にイギリス商館が開設されました。
イギリスは茶葉の大量輸入の貿易赤字に対応するために、
インドからアヘンを輸出し販売を開始します。
しかしアヘン輸入規制を推進する清と
イギリスの間に紛争が発生します。
当時アヘンを取り扱った商会の一つである
ジャーディン・マセソン商会などが
清への政治的圧力を行いアヘン拡大を目指す活動をします。
そしてイギリス国会は1票という僅差で軍の派遣を決定。
1839年にアヘン戦争が勃発します。
1841年にはイギリス軍は香港島を占領。
そしてその翌年締結された「南京条約」により、
香港はイギリスに永久割譲されます。
その後、九龍以南より北側
深圳河以南の新界地域を99年間イギリスが租借するという
条約が結ばれました。
1941年~始まった太平洋戦争で、
香港・その周辺地域(九龍半島)は
一時的に「日本」に制圧されますが、
太平洋戦争終結後は上記「99年の租借の条約」に基づき
再び香港はイギリスの統治下に入ります。
その条約から99年後の1997年にイギリスの統治が終わり
香港は中国に返還される事となります。
一国二度制度
長い間、イギリスの統治・影響を受けた香港は
返還後いきなり中国の社会主義を受け入れるには
無理がありました。
そこで考案されたのが、「一国二度制度」です。
二種類の制度を採用するといった内容で
中国は社会主義の国ですが、
これまでの香港の資本主義を50年間認める
と言った内容です。
これには中国にもメリットがあり、
香港が、資本主義への窓口の役割となり
香港を足がかりに
中国の経済発展が想定できたからです。
香港の人は8割は中国人という認識がない?
返還後香港の人たちは
香港が共産圏となり、自分たちの土地や財産などが
没収されると思い、多くの人が香港を離れました。
また、離れなかった人も、国籍を違う国に変え
いつでも逃げ出せるようにしました。
その結果、香港の人はその国籍が様々で、
中国以外の国籍を持つ人が沢山います。
また、香港の人は自分が中国人だと思っている人は
「2割」ほどだそうです。
雨傘運動とは
2014年に大規模な学生デモがありました
そのきっかけですが、
上記「一国二度制度」を採用している香港では、
当初2017年に行政庁長官選挙から
普通選挙が行われる予定でした。
香港における「行政庁長官」とは
まさに香港のトップ、大統領のような存在となります。
しかし中国の国会で、とある決定がされます。
立候補者の人数を制限しその立候補者は
「指名委員会」の過半数の支持が必要と言う内容です。
指名委員会とは、香港から見ると、
ほとんどが中国政府・中国寄りの人間で
簡単に言うとこの決定は、
「中国の意向に従わない人間は立候補させない」
と言うことになります。
この決定に抗議する学生らは、
「普通選挙の実施」と
「中国寄りの香港政府幹部の辞任」を要求します。
デモは大規模となりそして長期化、デモ隊は、
行政機関や繁華街、中心部の各所を占拠します。
当初はデモに賛成していた一般市民も
生活に支障を来すようになり、徐々に不満が高まります。
中国政府は、これを機に、
学生らの要求を拒否したままデモの強制排除を行います。
この時、多くの催涙ガスなどがデモ隊に投げつけられ、
学生らはこれを「雨傘」で防いだことから
「雨傘運動」「雨傘革命」と呼ばれています。
2019年に起こっているデモの理由
2019年に国際ニュースなどを
賑わせているデモはなぜ一体なぜ起こっているのか?
表向きは「逃亡犯条例の改正」です。
きっかけは、台湾旅行中に恋人を殺害し
犯人が香港に帰ってしまうという事件が発生します。
この犯罪を中国本土で裁けなくなってしまった事がきっかけです。
この事により、より簡単に香港から
中国への犯罪者の引き渡しが出来るように改正。
この法案が通れば、香港の人は
今よりもより簡単な手続きで犯罪者などは、
「香港」ではなく
「中国で裁かれる」ことになります。
上記にも書きましたが、
香港の人たちは自分たちがが中国の人という認識は
ほとんどありません。
近年香港では徐々に
「中国化」が進んでいるという話があり、
それに反発している人もとても多く
中国政府が香港の自治に不正にに介入していると
抗議していた人たちが急に姿を消したり
それにまつわる様々な謎事件がささやかれている・・
といった話すらあります。
この条例が可決されれば、
さらに中国化が進み、香港は
他の中国の地域と変わらない状態により近づきます。
今回の大規模なデモは「雨傘運動」と同じように、
「中国化」これを危惧し
反発する人たちのデモとも言えます。
今回の事態の大きさから
この改正案は撤回されるかもしれません。
ちなみに・・
この条例は香港にいる「旅行者」や「外国人」にも適用されます。
今回はここまでです
有り難う御座いました。