その他の雑学

知っておきたい世界の国の街の歴史と今 ③  「ドバイ」


今回は前回に続き

知っておきたい世界の国の歴史「第三回」

今回スポットを当てるのは

「ドバイ」です。

ドバイの基本情報

ドバイの公用語は

「アラビア語」などで

通貨は「ディルハム」です。

国名は「アラブ首長国連邦」となります。

アラブは7つの「首長国」が

集まって出来ている国で、

王政なので選挙も議会もありません。

最大の石油産出量と面積がある、

アブダビの首長がUAEの大統領。

2番目の産出量がドバイとなり、

アラブ内では首相・副大統領の地位となります。

その他残りの首長国は石油資源がないので、

アラブ首長国連邦は、

この2つの国に支えられている状態となります。

ドバイの歴史

ドバイ地域は、

青銅器時代より定住の証拠が見つかっていています。

5~6世紀頃にはキャラバンの中継地点として栄え、

16世紀以降にはポルトガルが貿易の拠点とし、

ヨーロッパなどの思想や影響が強まります。

19世紀半ばには、

イギリスがこの地域を「保護国」とし、

多くの停戦協定が結ばれドバイ地域は、

「休戦海岸」とも呼ばれます。

この地域には、様々な貿易などの

中継地点としての役割があったからです。

そのような事情もあり、この地域とその周辺は、

その時代より自由貿易が行われてきました。

そしてその後、

1960年代ドバイに「石油」が発見されます、

1971年には独立しドバイ国となり、

ドバイは周辺地域の相互安全と繁栄のため

「アラブ首長国連邦」に加盟することになります。

ドバイは真珠から始まった

ドバイと呼ばれるこの地は、

当初は「天然真珠」を採る漁業が盛んな土地でした。

しかし、真珠漁業は徐々に衰退、

その真珠採りが不振に陥った理由は、

実は日本の技術が関係しています。

19世紀末に真珠王とも呼ばれた、

御木本幸吉(1858~1954)が、

真珠の養殖に成功し、そして

この現ミキモトの製品が世界に広がった事が

大きな要因の一つと思われます。

真珠産業に頼っていたドバイなどの周辺地域は、

どうやって真珠に頼る事なく地域を発展していくか、

考える必要性が出てきました。

この時ドバイは税金が安い貿易特区を作り、

貿易商などを定住させることにより発展を続けました。

真珠に依存することなく街を発展させると言う

基本姿勢は、現在の無税の経済特区などを作り、

石油に依存することなく発展を続ける

現在のドバイの考え方に繋がるとも言えます。

実は出稼ぎ労働者に支えられている

超高層ビルが建ち並び、

華やかなドバイの街ですが、

ドバイの人口の約9割は外国人と

言われています。

そのほとんどは労働ビザのみの、

「出稼ぎ労働者」で国籍は与えられていません。

ドバイの特徴として注目すべき点は、

出身国で職業が分かれている部分です。

タクシーはパキスタン人、

建設現場ではインド人、

料理人はスリランカ人といった感じです。

これは、最初にドバイで働いていた人が、

仲間を自分の国から呼び寄せて、

同じ職業で同じ国の人々の

集団が出来たからです。

そして人口の残り10パーセントのドバイ人は、

日本で言う公務員や国の役職に就いています。