歴史の雑学

江戸とか歴史の面白いビジネスを紹介していく ②


今回は前回に続きまして

「歴史とかの面白いビジネスを紹介していく」 第2回 となります。

歴史を振り返ると

沢山の面白い商売の仕組みがあり

また、学ぶべきアイディアも沢山あります。

今回もまた江戸時代を中心に

面白いビジネスを紹介していきます。

むき身売り

 

江戸の人々は

貝類をよく食べていました。

「毎日貝売りが長屋の隅々まで売りに来る」

その日常の商売の中でも。

殻を外したり手間がかかる物を、

最初から色々な下処理や加工をして、

むき身で売る商人が現れました。

古からの既存の商売の中で、その売り方を

工夫したアイディア商売となります。

そのむき身は、味噌汁の具や煮物など

色々な料理に使われました。

貝売り・むき身売りが流行らせたか否か、

色々な貝殻の上で、別のむき身や

味噌、卵などを焼いて食べるレシピが

江戸料理集(1674年発行)

など当時の有名料理本などで、

紹介され、流行っていた事から、

むき身を取った後の「貝殻」の方も

さらに需要もあったようです。

「殻付き」「むき身だけ」「貝殻だけ」を売ることによって、

買い手はその用途に合わせて買うことが出来ました。

ちなみに、上記玉子の貝殻焼きが、進化して

現在の茶碗蒸しが生まれたと言う話もあります。

とっかえべえ

 

「とっかえべえ~とっかえべえ」

と桶などに飴を入れ、鐘を打ちながら

やってくる、不思議な商売がありました。

一見するとなんの商売か分かりませんが、

「とっかえべえ」とは

大きく壊れた鍋や、包丁やキセルの部品などの

「壊れた鉄製品」と「飴」を交換する商売です。

当時金属は大変貴重で、火事が起こるたび

火事場の焼け跡から、

鉄製品を掘り起こす人がいるほどでした。

当時「古鉄買い」の商いをする人は多く、

他の同業者との商売競争の中、

「差別化」のためのパフォーマンスとして

行っていた側面もあったようです。

羅宇屋(らうや)

 

江戸時代の喫煙率は非常に高かったそうです

ただ、今のような煙草ではなく

「キセル」を使った喫煙になります。

また特に江戸の町は火事が多かったので、

外で歩きながら吸うような習慣は無かったそうです。

そのキセルの吸口と葉を詰める雁首の間の

竹管の部分が「羅宇」となります。

なぜ羅宇と呼ぶのか・・。

その羅宇はラオスから輸入されていた

黑斑竹(くろふ)で作られていて、

最初は「ラオ」と呼ばれていました、

そのラオが訛って「ラウ」と呼ぶようになったそうです。

この羅宇は、長く使うと脂などが溜まる、消耗品で

その羅宇を交換したり修理出来る専門店が

「羅宇屋」となります。

次第に羅宇は国産の竹が主流になり、

職人が様々な細工をした、格好がいい物が流行ったり

また、持ち運びに便利な物が流行ったりと、

「キセル」は時代によって

その流行も変わっていたそうです。

羅宇の値段は大体現在で言うと、200~250円ほどだったようです。

読売(よみうり)

 

読売は、庶民の情報源としての役割があり、

今で言う新聞記事を手売りで販売する商売です。

政治や災害、噂話や事件などを記事にして

1~3枚の半紙に印刷され、売り子が

記事の面白そうな部分を歌ったり読んだりしながら

売り歩いていたようです。

記事の中には、「人魚が浜に打ち上げられた!」など、

興味を引くような、面白い記事もあったそうです。

読売の内容は、ほとんどが「絵」で表現され

「視覚で見て楽しくわかりやすく」

が基本の形だったようです。

その値段は記事の「内容」によって変動し、

大体100~650円ほどの料金だったようです。

苗売り

 

よく日本庭園になどに

見られる「庭」には様々な植物があります。

当時も「植物を育てる」と言った娯楽があり、

特に珍しい花や植物などを、

大名や旗本は競うように育てていました。

若葉の季節頃になると、江戸の町には

「苗売り」たちの声が響きわたり

様々な苗を売り歩いていました。

その販売内容は、主に朝顔やヘチマ、胡瓜や唐辛子など

江戸近郊の農家で育てられた野菜や花の苗が中心でした。

江戸当時の武士は、生活に困窮している家も多く、

特に人気があったのは、野菜などの「食べられる」

苗で、武士たちは、屋敷内でその野菜を育てていました。

庶民には、「路地でも育てられる」ヘチマや朝顔や茄子などが

人気だったそうです。

今回はここまでとなります

ここまで読んで頂き

有り難うございました、

また次回。