歴史の雑学

江戸とか歴史の面白いビジネスを紹介していく ③


今回は前回(第2回)に続きまして

「歴史とかの面白いビジネスを紹介していく」 第3回 となります。

歴史を振り返ると

沢山の面白い商売の仕組みがあり

また、学ぶべきアイディアも沢山あります。

今回もまた江戸時代を中心に

面白いビジネスを紹介していきます。

桜草売り

 

現在の東京板橋区のあたりや

荒川の原野にあたりに

自然に自生していた桜草を

鉢に移して売り歩く商売がありました

1鉢4文との記述があり(現代の100円くらい)

現代の園芸店の原型のような商売で、

その桜草はこのような流通もあってか

江戸時代に育種が進み、数百に及ぶ品種が作られました

その野生する桜草から本格的な栽培が始まり、

種子まきを繰り返すうちに、白、桃、紅、紫、絞りなどの色や、

大小さまざまな花形の変わり品が生まれました

桜草は品種改良の流行の先駆け的な存在で

江戸後期には、桜草だけを扱った本などがでるほどの人気だった。

シャボン玉売り

 

シャボン玉は

すでに江戸時代には、とても流行っていて

「シャボン玉売り」がシャボン玉を吹きながら売り歩いていました、

シャボン粉が入った箱を首にぶら下げ日傘を差して歩きながら

水で溶かしたシャボン粉を

葦(よし)の茎でシャボンを吹き

「玉や玉や」などと叫ぶスタイルが主流だったそうです。

払い合羽屋(かっぱ)

 

雨の日は江戸時代も合羽を着用していたようで

使い古した合羽を買い取る商売がありました

合羽はポルトガル語の「カパ」(スペインやポルトガルの人々が雨雪を防ぐために衣服の上に着用する外衣)

に由来すると言われています。

合羽は当初、戦国時代に日本に伝来したコートをお手本に

油を引いた紙などで作られていました。

木綿タイプの合羽などもあり、

旅装束にも使われていたそうです。

その合羽を買い取って修理してまた売っていたのが

払い合羽屋です。

ももんじ屋

 

江戸時代と言うより、

日本は古くから仏教の影響下もあり、

676年天武天皇の時代に最初の肉食禁止令が発令されてから

肉食が禁じられていた時代は明治まで長く続きました。

しかし江戸の町には、堂々と肉鍋を食べさせてくれるお店がありました

実は、肉食がすべて禁止だったかというとそうでもなさそうで、

滋養狩猟や捕鯨で得られた肉は半ば公然と流通していて、

滋養のために食べるのは、「薬喰い」と言い、許されていたりしました。

江戸の人々は「薬」として肉を堂々とを食べており、

その薬を商材にして。商売をしたのが、「ももんじ屋」となります。

ちなみに「ももんじ」とは、野獣のことを指しますが

江戸庶民は「野獣」との表現を嫌い「牡丹(いのしし)」「紅葉(鹿)」

2つをまとめて「山くじら」

などと表現していたようで、この呼び方は

現代の牡丹鍋(イノシシ鍋)などに繋がります。

うろうろ舟

 

江戸の町は、夏の涼を求めてなど、

船遊びを楽しむ人が多くいました。

その人々をターゲットにした商売があります、

屋台船などが賑わう両国橋などのあたりで、

食べ物や雑貨などを小舟で売る人がいました。

当初は「売ろう舟」と呼ばれていましたが、

舟と舟の間や川をうろうろ往来していたこともあり、

いつしか「うろうろ舟」と呼ばれるようになったようです。

その売り物は主に枝豆や瓜、

まんじゅうや餅、漬物など様々な物が

あったようです。

 

今回は以上です

また次回