一振りの刀とその物語を
紹介していきます。
今回は「一期一振」です。
一期一振
鎌倉時代~製作 製作法「山城伝」(やましろでん)
流派は栗田口(あわたぐちは)鎌倉時代初期から中期、
京都・東山(ひがしやま)の粟田口で名声を得た一派
作 吉光
刃長 68.8センチ
反り 2.6センチ
その経緯と伝説
「短刀製作の名人」と言われた
栗田口派の吉光作とされます。
吉光唯一の太刀であることから、
「一期一振」と名付けられました。
・・豊臣秀吉は、多くの名刀を、収集していました。
その中でも特に愛刀としていたのが、
この「一期一振」となります。
秀吉は小柄だったため、
刀の持ち手の部分を短くする加工(磨上げ)をしています。
しかし、秀吉の収集した名刀の数々は、
徳川家康が、豊臣家に攻め込んだ大坂の陣で、その多くを消失。
それを惜しんだ家康は、刀工の初代・越前泰継に焼き直しを依頼、
この一期一振などいくつかの名刀は、この時に復元されています。
しかし、江戸時代後期にもこの刀は、明暦の大火によって、
またもや焼けてしまいます。
しかし、この時も三代目・越前泰継によって復元されます。
後に、尾張徳川家に所蔵され、
江戸末期には天皇に献上されます。
現在もこの刀は、宮内庁にて保管されています。
今回はここまでです有り難うございました。