歴史の雑学

とりあえず刀を紹介する① 子狐丸


一本の刀とその物語を

紹介していきます。

今回は「子狐丸」です。

子狐丸

平安時代~製作

流派は古備前(平安時代中頃に興った備前国の日本刀刀工一派の総称。五箇伝のうち備前伝に属する。古より贈答用として珍重された、その家の家宝となっていた作品も多い。)

刃長 79.1センチ

反り 2.5センチ

子狐丸という名の刀は複数ある

子狐丸の誕生の伝説

平安時代の名刀工

三条宗近の作

子狐丸は様々な伝説やいいつたえが存在します。

その一例として、

橘道成が、一条天皇に命じられ宗近に製作を依頼。

宗近は、最高の一振りを作るべく

製作に取りかかるが、なかなか良い一振りが出来ず、苦心。

行き詰まった宗近は、稲荷神社に祈願に向かうことにしました。

その道中、宗近は一人の不思議な子供に出会います。

「あなたに力を貸します、私が相槌を打ちますので、安心して製作下さい。」

と言うのです。

早速、帰宅後、宗近が刀の製作に入ると、

あの不思議な子供が現れ、

そして、その言葉通り相槌を打ってくれます。

こうして子狐丸は完成したとされます。

宗近はこの子供が、稲荷大明神の化身だと思いました。

そして表に「小鍛治宗近」裏に「子狐丸」の銘をを打ったとされる。

刀の経緯と所在

平安末期には

子狐丸は九条家にあったとされます。

鎌倉時代には、鷹司家にあったとされるが、その後紛失。

時は流れ

石神神宮(奈良県)に子狐丸の銘が打ってある刀が見つかります。

その経緯はこうです。

江戸時代末期に、盗賊が、垂仁天皇のお墓を盗掘。

公家の鷹司家に売り込んできたところ、怪しく思い、

鷹司家が詳しく調査させたところ、これが盗品である事が判明。

盗賊は捕まり、刀はそのまま石神神社に奉納される事となったそうです。

現在も石神神社に現存しており、指定文化財となっています。

今回はここまでです有り難うございました