その他の雑学

知っておきたい世界の国の街の歴史と今 ②  「シンガポール」


今回は

知っておきたい世界の国の歴史②

今回スポットを当てるのは

「シンガポール」です。

シンガポールの基本情報

香港の公用語は

「マレー語・英語・タミール語・中国語」などで。

通貨は「シンガポールドル・米ドル」

国名は「シンガポール共和国」となります、

その地名シンガポールの由来ですが、

その前は、その場所は海の港を意味する

「テマセク」と呼ばれており、

13世紀頃、島に上陸した近隣の王族が、

上陸時にライオンを見かけたところから

「ライオンの街(シンガプーラ)」

と呼ばれるようになったそうです。

「シンガ」がサンスクリット語でライオン

「プーラ」が町を意味し、

ライオンの町=シンガプーラ(ポール)となりました。

シンガポールの歴史

 

14世紀末にはシンガプーラの名前が定着し、

1402年にマラッカ王国の支配下にはいります。

マラッカ王国は1511年にポルトガルの侵攻を受け滅亡

ポルトガル領マラッカとなります。

そのポルトガルの侵略により壊滅したシンガプーラは、

その後300年以上もの間小さな「漁村」として存続します。

そしてこの地域は、さらに時代が進むと、次は

オランダに占領され、オランダ領となります。

1819年には、東インド会社の書記官を務めていた

イギリス人トーマス・ラッフルズ(1781~1826)が、

その地理の重要性から、この地域に着目。

その当時島を支配していた、

ジョホール王国より商館建設の許可をもらい、

そして拠点とするため、都市化計画を進めます。

この時「シンガプーラ」との名称から、

英語風に「シンガポール」と改めました。

無関税の自由港政策を推し進めたこともあり、

シンガポールは急速に発展します。

その後1824年にジョホール王国から

正式にイギリスへ割譲がなされるとともに、

オランダもイギリスによる植民地支配を認める事となります。

1941年太平洋戦争が始まると、

日本軍に攻撃を受け、守備をしていたイギリス軍は無条件降伏

シンガポールは日本の占領下となり、

「昭南島(しょうなんとう)」と改名されました。

そして第二次世界大戦が終結しこの地域から日本軍が撤退、

再びイギリス領となります。

しかし、長年マレー半島において搾取を行ったイギリスに対する

地元住民の反感は根強く、その後独立運動に発展する事となります。

第二次世界大戦で大きなダメージがあったイギリスは、

本国より遠く離れたこの地を支配する力が弱まっていて、

さらには、諸外国からの植民地支配に対する反感が強い事などもあり、

植民地支配を放棄せざるを得ない状況に追い込まれていました。

その結果、1957年に、マレー半島地域でマラヤ連邦が独立、

1958年シンガポール自体は、宗主国の

イギリスより外交と国防を除く自治権が与えられます。

1963年にマラヤ連邦、ボルネオ島のサバ・サラワク両州とともに、

マレーシア連邦が結成され

シンガポールもイギリスの自治領として

マレーシア連邦の一部となります。

 

シンガポールの独立

 

シンガポールは、イギリスの自治領・植民地時代に移住してきた、

中国系の人々、その子孫が半数を占めていて現地マレー人との

対立が常に絶えない状態でした。

マレー人優遇政策を採ろうとする「マレーシア中央政府」と

マレー人と中国系の人々の平等政策を進めようとする

地元の「シンガポール人民行動党」が激しく対立。

1964年にはマレー系のデモ隊と中国系住民が衝突、

そして暴動が発生し、多くの死傷者が出る事態になります。

さらにこの間、シンガポール内で、

「マレーシア中央政府」と「シンガポールの人民行動党」で

双方の地盤を奪い合うような激しい選挙戦が行われ、

マレーシア中央政府とのシンガポールの関係はさらに悪化。

マレーシア連邦ラーマン首相は、両者の融和は不可能と判断し、

シンガポールの人民行動党のリー・クアンユー首脳(1923~2015)

との合意の上マレーシア連邦から「追放」される形で

都市国家として「分離独立」します。

何もないところから始まったシンガポールの独立

 

初代首相のリー・クアンユーは戦時中、

シンガポールを占領し、さらには反乱の恐れがあるとして、

シンガポールの中国系の男子を大量虐殺をした、

「憎みべき相手」と位置づけてもおかしくない日本を、

手本として成長を目指します。

戦後、復興し大きな経済成長を遂げた日本の、

西洋ではなく「アジアならでは」のやり方に着目したからだそうです。

国民に意識改革を促し、外国資本を誘致。

外資系の企業に税金などで優遇措置を行い、

安い賃金で労働力を提供するなど、

外国からの投資がしやすい環境を目指します。

また、観光産業に力を入れ、インフラを整備し

金融市場も開設します。

シンガポールの人々は団結し、

現在のシンガポールの基礎が出来ていきます。

実は水問題が悩みの種

 

マーライオンなどのイメージもあり

水が豊富な印象があるシンガポールですが、

実は平地で保水力の無い土地なので、

常に水不足に悩んでいました。

そのほとんどは、隣国のマレーシアから購入していますが、

シンガポールとマレーシアは、関係があまり良好とは言えません、

両国に問題があるたびに、

水の供給をストップや値上げをされてきました。

2061年にはマレーシアより完全に水の供給はなくなる予定となっています。

シンガポール政府は、水問題を最重要課題として、

1998年に研究を開始して

2003年には下水を真水にかえる工場の稼働しました。

現在は5カ所以上の水処理工場が稼働しています。

2030年までには50%以上の水の安定供給を目指しています。

現在は海水の淡水化も進めているそうです。

ちなみに「ライオン」は西洋では水の守り神とされています。

「罰金」の国・シンガポール

シンガポールは

「ファインカントリー」とも呼ばれていて

ファイン(fine)には、「罰金」という意味があります。

初代首相の初代首相のリー・クアンユーの信念で

「発展には規律が必要」と言葉が基本となっている制度があり、

ゴミを捨てたら罰金、つばを吐いたら罰金

のように様々な罰金があり、

トイレの水を流さないと罰金。

さらには電車の切符を折り曲げても罰金です。

多様な民族が暮らすシンガポールですが、

この制度のおかげか否か、

シンガポールはどこを歩いてもゴミがなく

清潔な街が維持されています。

ちなみに、その罰金の額ですが、たとえばシンガポール旅行で、

「チューインガム」を、シンガポールに持ち込んだら

罰金10000シンガポールドルで、

日本円に換算したら「80万円」の罰金となります。

旅行の際には、事前に調べておいた方が良さそうです。

観光の国シンガポールその多様性と魅力

シンガポールは

長い間カジノの誘致が

問われてきて、そのたびに却下されてきましたが、

観光都市として、ついにカジノの誘致に踏み切ります。

2010年には、カジノを備えた総合リゾート施設がオープン

その中には、3つのビルをつなぐように屋上に乗った船のようなものがある

あの有名な「マリーナベイサンズ」などがあります。

しかし、シンガポール政府は、

カジノは「悪」であると明言し、自国民には厳しく制限を設けています。

シンガポールは、色々な民族が住んでいて、

チャイナタウン・リトルインディア・アラブストリート

など道一本で、雰囲気が全く違う区画に分かれてます。

多様な宗教や民族がうまく共存していて、

全く対立せずに、治安もとても良いそうです。

衛生管理にも厳しく、共働きが基本なので、

外食産業がとても発展しており、観光客にとっては

とても魅力的な場所となっています。

今回は以上です

有り難うございました。