歴史の雑学

意外と知らない時代をざっくり解説 ② ~古墳時代


好評でしたので

今回は前回の続き

意外と知らない時代をざっくりシリーズ②

~古墳時代を書いていきます

大和時代とも呼ばれる時代の区分となりますが

大和時代とは日本書紀や古事記による文献上の時代区分であり。

現在は研究が進んだこともあって、

この時代の呼び方は「古墳時代」

と最近では呼ばれることが多いようです。

古墳時代は3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの

ざっくりですが250年~600年代後半あたりの

約400年間の時代区分となります。

前方後円墳と巨大古墳群

 

古墳時代と言えば

「前方後円墳」が有名です

大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)が有名です

世界最大の面積を持つ大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)を中心とした

百舌古墳群などは現在では大阪平野の真ん中にあります

色々な説はありますが、大阪平野(河内王朝)

の大王たちの墓であることは、間違いないそうです。

建設当時は、この古墳群のあたりは、湾岸地帯であり

貿易船はこれら大きな建造物が見られるような

必ず目に入るような状態だったそうです。

外国船に強いインパクトを与える巨大モニュメント

の要素もあったようです。

一説には低湿地帯を干拓する為のの用水路を建設

し、その大量の土砂を有効活用したのが古墳の起源

との説もあります。

秦氏と東漢氏などの渡来人

 

有力渡来系で、かの有名な

秦氏(はたうじ)や東漢氏(やまとのあやうじ)も、

この時代に渡来したと言われています

当時、朝鮮海峡に国境は無く自由に往来していて

応神天皇の時代には大量の渡来人を受け入れたようです

渡来人は政治難民(戦争被災などの理由など)も多く

秦氏や東漢氏も漢人系の政治難民であったとされます。

京都の太秦に本拠を構えた「秦氏」は養蚕や土木技術などに優れ

聖徳太子(厩戸皇子)の側近、秦河勝も秦氏です、

秦氏は平安京建設時には広大な土地を提供しています。

また、奈良の飛鳥地方檜隈に本拠を構えた

「東漢氏」は文筆や工芸・製鉄軍事技術などが優れていたそうで

征夷大将軍となった

坂上田村麻呂も東漢氏の子孫とされています

その有力渡来系の人たちの技術などを元にして、

古墳時代には盛んに土木工事が行われていたようです。

秦氏は、秦の始皇帝の子孫、弓月君の一族

東漢氏は、後漢の霊帝の子孫、阿知使主の一族

とされています

中国では大秦=ローマ帝国

大秦寺=キリスト協会を意味する事から

秦氏の祖先は、

当時中国(唐)にはペルシア経由でキリスト教徒が

多く流れてきており、時代背景から

ローマで迫害されたネストリウス派の

キリスト教徒だった可能性が高いそうです。

大和王権

 

古墳時代と言えば大和王権です

大和王権とは

「王」や「大王」などと呼ばれた倭国の首長を中心として、

いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力とされています

今の奈良盆地を中心とする

大和地方の国がまわりの国を従えたことからこう呼ばれています

有力渡来家の技術などに支えられ発展し

次世代へとつながっていきます。

有名な邪馬台国もこのいくつかの有力氏族の一つで

近年は卑弥呼を宗主とする小国連合(邪馬台国連合)

がヤマトを拠点とする「ヤマト政権」ないし「ヤマト王権」

につながる可能性が高くなったとの指摘もあります。

周辺の国々の自立が始まった時代背景

 

この古墳時代後期の時代的には、漢王朝の崩壊によって

周辺の小国や民族が自立し始めた時代です。

朝鮮半島にも高句麗、百済、新羅などが

その勢力を争っていました。

当時の倭国の最大の敵は、

倭国・ヤマト王権の出先機関ないし外交使節(任那日本府(みまなにほんふ)

があったとされ、少なくとも

一定の軍事的・経済的影響力を有していたと考えられている

朝鮮半島南部の地域任那地方を奪った、新羅でした

百済は共通の敵である新羅との戦いに備えて

倭国(日本)人を傭兵として雇っていたようで

この時百済は鉄剣などの技術を倭国に提供したという説があります。

新羅と百済戦いは激化し

新羅が百済などに侵攻したため

当時の継体天皇は6万の大和軍を派遣します

この時新羅に内通した北部九州の豪族磐井氏が

反乱を起こし大和軍はこれを鎮圧するという大事件が起こります。

このように新羅と倭国でも争いが激化していきます。

 

日本国としての独立

 

古墳時代の末期

663年の白村江(はくすきのえ)の戦いをご存じでしょうか?

日本列島が海外勢力の占領下に入る危険性が非常に高まった戦争です

この戦争は当時世界最大の勢力とも言える唐と

古代の朝鮮半島南東部にあった国「新羅」の連合軍

との戦いで。倭国は大敗し、唐の勝利に終わります。

この敗戦により倭国は日本列島の領土は奪われなかったものの、

朝鮮半島の領地や権益を失い、外交政策・国防体制・政治体制など

国の基礎部分を根本的に変革する必要に迫られます。

この時代より倭国は、一つの国として変革していきます

なぜ大和国家は建国したばかりの状態で

この無謀な戦いに挑んだのか?

これには蘇我氏や物部氏、大化の改新や中大兄皇子など

あたりのお話が必要ですので

この話は次回、飛鳥時代~のお話で

次回に書いていきます。

今回も読んでいただき有り難う御座います。