現存する本物の瓦版には、黒船来航のような外交の大事件もあれば、江戸を襲った大地震の被害、さらには世間を震わせた政治事件まで載っていました。しかも、ただ文字で伝えるだけではなく、船の姿、航路、被害地図、焼けた地域などを図で示していたものも残っています。文字と絵を組み合わせて、とにかく早く伝えようとしていたことが分かります。

瓦版はどんな内容だった

現存する本物の瓦版には、黒船来航のような外交の大事件もあれば、江戸を襲った大地震の被害、さらには世間を震わせた政治事件まで載っていました。しかも、ただ文字で伝えるだけではなく、船の姿、航路、被害地図、焼けた地域などを図で示していたものも残っています。文字と絵を組み合わせて、とにかく早く伝えようとしていたことが分かります。

黒船来航を伝えた瓦版

たとえば、嘉永六年のペリー来航を伝える現存資料には、「蒸気船図」や「嘉永六丑年六月初旬アメリカ舶渡来之図」などがあります。そこでは、アメリカ艦隊が浦賀沖に現れ、久里浜に来て、さらに羽田沖近くまで進んだことが伝えられています。黒船がどこを通ってきたのかを図で示したものまで残っており、人々がこの出来事をただのうわさではなく、重大な“事件”として受け止めていたことがよく分かります。また、黒船関係の瓦版は、船そのものへの強い関心も伝えています。現存する「蒸気船図」は「蒸気船」と書かれていながら、実際には帆船のような姿で描かれており、当時流布していた瓦版などをもとに写されたと考えられています。つまり、瓦版は「速く伝える」力に優れていた一方で、絵や細部は必ずしも正確とは限らなかったのです。

さらに、「北亜墨利加合衆国帝王ヨリ献上貢物品々」という瓦版では、アメリカ側から贈られた品々が描かれています。特に注目されたのは蒸気機関車の模型でした。ただし、この瓦版には実際には贈られていない品まで混じっていたとされており、ここにも瓦版らしい“速報優先”の性格が表れています。人々は正確な公文書より先に、まず瓦版で世界の変化を知っていたのでしょう。

大地震の被害を伝えた瓦版

安政二年に江戸を襲った大地震のあとには、「関東江戸大地震并大火方角場所附」や「安政二卯十月二日大地震附類焼場所」といった瓦版が出されました。現存する実物を見ると、江戸の町のどこが焼けたのか、どこに被害が広がったのかを、地図と文章で一度に伝えようとしていたことが分かります。とくに、類焼した場所を色分けして示した瓦版は、当時の人にとってかなり実用的な情報源だったはずです。

この地震関係の瓦版は、ただ恐ろしさを伝えるだけではありません。どこが揺れ、どこが燃え、町がどうなったかを、見る人がひと目で分かるように工夫しています。現代でいえば、速報地図つきの災害ニュースに近い役割を果たしていたと考えられます。瓦版は娯楽的な印刷物という印象で語られがちですが、実際には人々の不安に応える情報媒体でもありました。

政治の大事件も瓦版で広まった

瓦版は災害だけでなく、政治の大事件も伝えました。桜田門外の変では、大老井伊直弼が雪の中で駕籠に乗ったまま襲われて殺害されたことが、世間に急速に広まりました。埼玉県立文書館の解説では、当時の瓦版に、井伊直弼の死を皮肉った川柳まで載っていたことが紹介されています。幕府は井伊の死を極秘にしようとしましたが、瓦版は飛ぶように売れ、首が持ち去られたことまで世間が知っていたとされています。

ここには、瓦版のもう一つの特徴があります。それは、公式発表より早く、しかも世間の感情を乗せて事件を広めたことです。黒船来航では驚きと好奇心を、大地震では不安と被害情報を、桜田門外の変では衝撃とざわめきを、瓦版が一気に町へ流していったのです。

瓦版から見えること

現存する本物の瓦版を読むと、江戸の人々が求めていたのは、完璧に整えられた記録よりも、まず「何が起きたのか」を早く知ることだったと見えてきます。だからこそ、船の絵が少し違っていたり、贈り物の内容に誤りが混じっていたり、事件の細部が錯綜していたりしても、瓦版は強く求められました。そこには、動いたばかりの時代の空気が、そのまま刷り込まれています。

江戸の瓦版は、単なる昔の読み物ではありません。黒船に揺れた日本、地震に見舞われた江戸、そして政治の緊張に包まれた幕末を、その時代の目線で伝えてくれる“生きた速報”です。現存する実物の内容を追っていくと、歴史の大きな出来事が、遠い教科書の話ではなく、その場の人々の息づかいを持った出来事として見えてきます。

紙のチラシなどを扱う現代の瓦版を配布してる侍グループのホームページはこちら

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